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深大寺そば |
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そば祭りでは献上蕎麦の儀式が行なわれる |
深大寺の名物といえば一にも二にもお蕎麦と云われます。深大寺そばが今日のように有名になったきっかけは、諸説ありますが、それらが複合的に口コミ等で広がっていったと考えられます。しかし「おいしいお蕎麦である」という事が最大の魅力であったという事は言うまでもありません。
江戸時代初期「元禄」のころ、天台宗の関東総本山である上野寛永寺の門主、第五世公弁法親王にお蕎麦を献上し、大変気に入られ、以来「献上そば」とも言われ珍重されたようです。また三代将軍家光が鷹狩りの際に立ち寄り、ことのほか称賛し推奨されたともいわれています。ちなみに調布深大寺の隣市「三鷹市」は鷹狩りが盛んに行なわれていました。
以来数々の名士が“深大寺そば”を称して有名になっていったと考えられます。
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お蕎麦の歴史は古く8世紀頃、お蕎麦の原産地である大陸北方から朝鮮半島を経て渡来したといわれ、高麗帰化人によって日本で広く栽培されるようになったと考えられています。深大寺周辺は気温が低く、お蕎麦の栽培に適した土壌でしたが、逆に言えば米や小麦などはあまり収穫できない土地でした。この様な事から数百年前の土着民はこの土地で“深大寺蕎麦”の栽培を始めたと考えられます。
深大寺“周辺”はお蕎麦の栽培に適していると先に記しましたが、深大寺自体は谷にあり湧水があちこちから湧き出し畑はとても作れませんでした。しかし湧き出した湧水は非常に冷たく、ゆでたお蕎麦を引き締めるのには最適でした。この様に産地と消費地が隣接していることも深大寺そばが“おいしい”と称される所以だと言えます。 |
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“深大寺城趾にある蕎麦畑”
残念ながら一般の人の口には入りません。 |
現在のお蕎麦屋さんでは、残念ながら深大寺産のお蕎麦は使われていません。時代と共にお蕎麦を栽培する環境では無くなってしまった事と大勢の観光客の胃袋を満たすだけの量はもはや収穫できません。
しかし、現在二十数件のお蕎麦屋さんが軒を連ね、切磋琢磨し競い合う事で今日の深大寺蕎麦をおいしくいただく事ができます。ぜひみなさんも食べ歩いてみて下さい。 |
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